「ま、いっか。」
◆浅田次郎 集英社 1,470円
江戸前のダンディーな生き様は文句なしに格好よく、
それでいて、見た目重視の世に苦言を呈しつつ、
これはオヤジの「ハゲ恨み」でもあると
言ってしまったりと茶目ッ気もたっぷり。
「花笑鉄心」<花の笑みをうかべ、鉄の心(信念)を忘れない>
という浅田次郎の座右の銘を、体現するかのような本でした。
ワン大人さまのお勧めにより、読んでみました。
http://one20020530.iza.ne.jp/
人は見た目が何割!
運命の相手と最高に幸せな結婚!
アンチエイジング!
絶対やせる○○ダイエット!
こんなことばの氾濫する世の中に、なんとなく息苦しさを感じている全ての人へ。
ちぢこまった背中が、気持ちよーく伸びる一冊です。
稀代の作家による、軽妙洒脱な生き方指南!
「デブとは何か」から「〈礼〉とは何か」まで、浅田次郎が発信するオヤジ目線の現代考。
江戸ッ子らしいキレの良さ、豊かな人生経験に基づく滋味がたっぷり。
笑えて泣けてためになる、男の本音。
「ま、いっか。」
男は容姿ではない、などと口で言うのは簡単だが、いささか無責任な言であろうと私は思う。
それがすべてではないにしろ、容姿が恋愛の一要件であることにちがいはないからである。
ただし普遍的客観的にすぐれた容姿の男ばかりを要求し続けると、痛い目に遭うかアブレるかの
どちらかであるから、「ま、いっか」という許容範囲内で手を打つのが、恋愛のコツと言えよう。
恋愛感情の相当部分は思いこみである。もしかしたら大部分かもしれない。したがって信心深い
タイプの女性ならば、相手のアバタをエクボだと思いこむこともできるが、飽きっぽい性格の女性は、
本物のエクボもやがてアバタに見えてくる。恋のゆくえは大方こうして決まるのであるから、
「ゼッタイこの人」も「ま、いっか」も、結果的にはさほど変わりがない。
要するに、男の容姿は恋愛の一要件にはちがいないけれど、客観ではなく主観的に納得できればよい、
ということになる。
さて、ここまではわかった。たとえ世界中がサイテーと罵っても、自分の美学だけがイケメンと
信じてさえいれば、恋愛は幸福である。だがしかし、この恋愛論には若い人には思いもつかぬ陥し穴がある。
恋愛の結果としての結婚、もしくはそれと同然の長期にわたる交際において、男の容姿は哀れな変貌をとげる。
若い時分のたかだかのみてくれなど、たいてい四十もなかばを過ぎれば形骸すらとどめぬのだから怖ろしい。
年齢とともにてんで傍目を気にしなくなる分だけ、男の変容は女の比ではない。
さあ、身近の「ま、いっか」について、もういちど考え直してみようか。 (…この続きは本書にてどうぞ・・・)
集英社 浅田次郎 「ま、いっか。」
http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-08-771285-8.html