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ふるき もの>こんな~ん!@江戸を歩く


 


こんな~ん!?あるものに、ついていました。


    


ヒント


 


 水戸黄門(TBS)  



 


うちわ絵広告宝丹良香丹天子丸清神丹


のほかに小間物や時計を輸入して販売していた店うちわ絵広告。


眼鏡やランプ、洋傘・靴にまじっての袋も描かれている。


  



         輸出用のポスター!(1945) 仁丹清涼


 


  

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 根付風ですが・・・!!


 だれかさんの背にだれかさん・・・!


 


 こんな~ん!? 問題ですぇ!?


   仁丹入れ ×ブッブ~


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by inemuri_hansui | 2008-11-30 14:13 | 時代小説 | Comments(0)

ふるき もの>こんな~ん!@江戸を歩く


 


こんな~ん!?あるものに、ついていました。


    


ヒント


 


 水戸黄門(TBS)  



 


うちわ絵広告宝丹良香丹天子丸清神丹


のほかに小間物や時計を輸入して販売していた店うちわ絵広告。


眼鏡やランプ、洋傘・靴にまじっての袋も描かれている。


  



         輸出用のポスター!(1945) 仁丹清涼


 


  

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 根付風ですが・・・!!


 だれかさんの背にだれかさん・・・!


 


 こんな~ん!? 問題ですぇ!?


   仁丹入れ ×ブッブ~


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by inemuri_hansui | 2008-11-30 14:13 | 時代小説 | Comments(0)

ふるき もの>こんな~ん!@江戸を歩く


 


こんな~ん!?あるものに、ついていました。


    


ヒント


 


 水戸黄門(TBS)  



 


うちわ絵広告宝丹良香丹天子丸清神丹


のほかに小間物や時計を輸入して販売していた店うちわ絵広告。


眼鏡やランプ、洋傘・靴にまじっての袋も描かれている。


  



         輸出用のポスター!(1945) 仁丹清涼


 


  

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 根付風ですが・・・!!


 だれかさんの背にだれかさん・・・!


 


 こんな~ん!? 問題ですぇ!?


   仁丹入れ ×ブッブ~


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by inemuri_hansui | 2008-11-30 14:13 | 時代小説 | Comments(0)

ふるき もの>こんな~ん!@江戸を歩く


 


こんな~ん!?あるものに、ついていました。


    


ヒント


 


 水戸黄門(TBS)  



 


うちわ絵広告宝丹良香丹天子丸清神丹


のほかに小間物や時計を輸入して販売していた店うちわ絵広告。


眼鏡やランプ、洋傘・靴にまじっての袋も描かれている。


  



         輸出用のポスター!(1945) 仁丹清涼


 


  

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 根付風ですが・・・!!


 だれかさんの背にだれかさん・・・!


 


 こんな~ん!? 問題ですぇ!?


   仁丹入れ ×ブッブ~


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by inemuri_hansui | 2008-11-30 14:13 | 時代小説 | Comments(0)

江戸のしくみ」の読みは「マチ?」・「チョウ?」





 


江戸には多くの「」があったが、「マチ」と読む場合と

チョウ(チャウ)」と読んだ場合とがある。

 

 現在も小川町(オガワマチ)、馬喰町(バクロウチョウ)などと

使い分けられている。


 


なぜなのだろう!?。五択問題です。(答えは一番最後に!)


 


.「マチ」と読むのが正解。「チョウ」は「」と混同した読み方。


 


.町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。


 


.番町(バンチョウ)など、旗本が住んでいた武家地を「チョウ」と呼んだ。


 


.明確な基準などない。読みやすさで決まっていた。


 


.徳川御入国当時の庶民の集落の多くは「マチ」と呼ばれていた。

  麹町(コウジマチ)・飯田町(イイダマチ)がその例。


 

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江戸創世記の町




 徳川家康御入国当時の江戸城周辺の集落は「ムラ」か「マチ」であった。

つまり、小田原を本拠とする北条氏の表現では、町は「マチ」であった。

 実例としては、江戸城直下の現在は皇居外苑の場所には、祝田橋交差点の

地名に残る海岸集落の、祝田町(いわいだまち)、宝田町(たからだまち)、

千代田町(ちよだまち)の三町があった。

 その後この三ヵ町は、城郭拡張のためにすべて現在の中央区内に移され、

祝田町は南伝馬町(みなみでんまちょう)、宝田町は大伝馬町(おおでんまちょう)、

千代田町は小伝馬町(こでんまちょう)と改称された。


 


 また甲州道中沿いの国府路町(こふじまち)、現在の麹町(こうじまち)、

上州口ともいわれた現在の飯田橋(元は飯田町)も、北条時代の「」であった。

 その後、公儀が主に関西から「町(まち)」を招いて、江戸が大都市化すると、

「町(まち)」は《○○町(ちょう)》と呼ばれるようになったが、北条時代からの


古い町(まち)は古町(こまち)と称されて、もとの呼び方を尊重されて残った。


 


 徳川幕府の開闢(かいびゃく)時、初代・家康、二代・秀忠の代にかけて江戸に

移住してきた者たちで、古町町人(こまちちょうにん)と呼ばれていた。


 古町町人の多くは、芝口(しばぐち)から筋違見附(じちがいみつけ)にかけて

住み、いろいろな特権を与えられていた。古町の中でも特に角屋敷に住む町人は

御目見(おみみえ)屋敷と称され、年賀、将軍家の婚礼、嫡男誕生の慶事には、

将軍拝顔を許されていた。



江戸行政組織の呼び方(マチチョウ)


 


 地主=町人(ちょうにん)の連合体であった「町(まち)」を管轄したのが、

旗本が任命された町奉行(まちぶぎょう)。その奉行と直接交渉したのが

「町人(ちょうにん)代表」としての、世襲三家の町年寄(まちとしより)、

奈良屋のちの館屋(たてや)、樽屋(たるや)、喜多村家(きたむらけ)で、

日本橋一丁目から三丁目に、各自の役所を持って市政(町政)に参与した。


 


 町名以外には町触(まちぶれ:町人向けの法令)、町入用(まちにゅうよう

租税負担)、町屋敷(まちやしき)、町火消(まちびけし)など《まち》と呼ぶ

場合が多い。町役人(まちやくにん:家主など)が、町内(ちょうない)の

事務を執行するなどという「重箱(じゅうばこ)読み」も多かったのである。


 


  

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正解は、


町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。・・・でした。


 


引用参照




えどちりQuestion  其の2  江戸のしくみ編  ものしりミニシリーズ 

鈴木 理生 著  出版:人文社

税込価格:¥1,260 (本体:¥1,200) サイズ:22cm / 111p

ISBN : 978-4-7959-1992-1  発行年月:2008.08


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by inemuri_hansui | 2008-11-29 12:48 | 時代小説 | Comments(0)

江戸のしくみ」の読みは「マチ?」・「チョウ?」





 


江戸には多くの「」があったが、「マチ」と読む場合と

チョウ(チャウ)」と読んだ場合とがある。

 

 現在も小川町(オガワマチ)、馬喰町(バクロウチョウ)などと

使い分けられている。


 


なぜなのだろう!?。五択問題です。(答えは一番最後に!)


 


.「マチ」と読むのが正解。「チョウ」は「」と混同した読み方。


 


.町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。


 


.番町(バンチョウ)など、旗本が住んでいた武家地を「チョウ」と呼んだ。


 


.明確な基準などない。読みやすさで決まっていた。


 


.徳川御入国当時の庶民の集落の多くは「マチ」と呼ばれていた。

  麹町(コウジマチ)・飯田町(イイダマチ)がその例。


 

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江戸創世記の町




 徳川家康御入国当時の江戸城周辺の集落は「ムラ」か「マチ」であった。

つまり、小田原を本拠とする北条氏の表現では、町は「マチ」であった。

 実例としては、江戸城直下の現在は皇居外苑の場所には、祝田橋交差点の

地名に残る海岸集落の、祝田町(いわいだまち)、宝田町(たからだまち)、

千代田町(ちよだまち)の三町があった。

 その後この三ヵ町は、城郭拡張のためにすべて現在の中央区内に移され、

祝田町は南伝馬町(みなみでんまちょう)、宝田町は大伝馬町(おおでんまちょう)、

千代田町は小伝馬町(こでんまちょう)と改称された。


 


 また甲州道中沿いの国府路町(こふじまち)、現在の麹町(こうじまち)、

上州口ともいわれた現在の飯田橋(元は飯田町)も、北条時代の「」であった。

 その後、公儀が主に関西から「町(まち)」を招いて、江戸が大都市化すると、

「町(まち)」は《○○町(ちょう)》と呼ばれるようになったが、北条時代からの


古い町(まち)は古町(こまち)と称されて、もとの呼び方を尊重されて残った。


 


 徳川幕府の開闢(かいびゃく)時、初代・家康、二代・秀忠の代にかけて江戸に

移住してきた者たちで、古町町人(こまちちょうにん)と呼ばれていた。


 古町町人の多くは、芝口(しばぐち)から筋違見附(じちがいみつけ)にかけて

住み、いろいろな特権を与えられていた。古町の中でも特に角屋敷に住む町人は

御目見(おみみえ)屋敷と称され、年賀、将軍家の婚礼、嫡男誕生の慶事には、

将軍拝顔を許されていた。



江戸行政組織の呼び方(マチチョウ)


 


 地主=町人(ちょうにん)の連合体であった「町(まち)」を管轄したのが、

旗本が任命された町奉行(まちぶぎょう)。その奉行と直接交渉したのが

「町人(ちょうにん)代表」としての、世襲三家の町年寄(まちとしより)、

奈良屋のちの館屋(たてや)、樽屋(たるや)、喜多村家(きたむらけ)で、

日本橋一丁目から三丁目に、各自の役所を持って市政(町政)に参与した。


 


 町名以外には町触(まちぶれ:町人向けの法令)、町入用(まちにゅうよう

租税負担)、町屋敷(まちやしき)、町火消(まちびけし)など《まち》と呼ぶ

場合が多い。町役人(まちやくにん:家主など)が、町内(ちょうない)の

事務を執行するなどという「重箱(じゅうばこ)読み」も多かったのである。


 


  

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正解は、


町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。・・・でした。


 


引用参照




えどちりQuestion  其の2  江戸のしくみ編  ものしりミニシリーズ 

鈴木 理生 著  出版:人文社

税込価格:¥1,260 (本体:¥1,200) サイズ:22cm / 111p

ISBN : 978-4-7959-1992-1  発行年月:2008.08


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by inemuri_hansui | 2008-11-29 12:48 | 時代小説 | Comments(0)

江戸のしくみ」の読みは「マチ?」・「チョウ?」





 


江戸には多くの「」があったが、「マチ」と読む場合と

チョウ(チャウ)」と読んだ場合とがある。

 

 現在も小川町(オガワマチ)、馬喰町(バクロウチョウ)などと

使い分けられている。


 


なぜなのだろう!?。五択問題です。(答えは一番最後に!)


 


.「マチ」と読むのが正解。「チョウ」は「」と混同した読み方。


 


.町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。


 


.番町(バンチョウ)など、旗本が住んでいた武家地を「チョウ」と呼んだ。


 


.明確な基準などない。読みやすさで決まっていた。


 


.徳川御入国当時の庶民の集落の多くは「マチ」と呼ばれていた。

  麹町(コウジマチ)・飯田町(イイダマチ)がその例。


 

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江戸創世記の町




 徳川家康御入国当時の江戸城周辺の集落は「ムラ」か「マチ」であった。

つまり、小田原を本拠とする北条氏の表現では、町は「マチ」であった。

 実例としては、江戸城直下の現在は皇居外苑の場所には、祝田橋交差点の

地名に残る海岸集落の、祝田町(いわいだまち)、宝田町(たからだまち)、

千代田町(ちよだまち)の三町があった。

 その後この三ヵ町は、城郭拡張のためにすべて現在の中央区内に移され、

祝田町は南伝馬町(みなみでんまちょう)、宝田町は大伝馬町(おおでんまちょう)、

千代田町は小伝馬町(こでんまちょう)と改称された。


 


 また甲州道中沿いの国府路町(こふじまち)、現在の麹町(こうじまち)、

上州口ともいわれた現在の飯田橋(元は飯田町)も、北条時代の「」であった。

 その後、公儀が主に関西から「町(まち)」を招いて、江戸が大都市化すると、

「町(まち)」は《○○町(ちょう)》と呼ばれるようになったが、北条時代からの


古い町(まち)は古町(こまち)と称されて、もとの呼び方を尊重されて残った。


 


 徳川幕府の開闢(かいびゃく)時、初代・家康、二代・秀忠の代にかけて江戸に

移住してきた者たちで、古町町人(こまちちょうにん)と呼ばれていた。


 古町町人の多くは、芝口(しばぐち)から筋違見附(じちがいみつけ)にかけて

住み、いろいろな特権を与えられていた。古町の中でも特に角屋敷に住む町人は

御目見(おみみえ)屋敷と称され、年賀、将軍家の婚礼、嫡男誕生の慶事には、

将軍拝顔を許されていた。



江戸行政組織の呼び方(マチチョウ)


 


 地主=町人(ちょうにん)の連合体であった「町(まち)」を管轄したのが、

旗本が任命された町奉行(まちぶぎょう)。その奉行と直接交渉したのが

「町人(ちょうにん)代表」としての、世襲三家の町年寄(まちとしより)、

奈良屋のちの館屋(たてや)、樽屋(たるや)、喜多村家(きたむらけ)で、

日本橋一丁目から三丁目に、各自の役所を持って市政(町政)に参与した。


 


 町名以外には町触(まちぶれ:町人向けの法令)、町入用(まちにゅうよう

租税負担)、町屋敷(まちやしき)、町火消(まちびけし)など《まち》と呼ぶ

場合が多い。町役人(まちやくにん:家主など)が、町内(ちょうない)の

事務を執行するなどという「重箱(じゅうばこ)読み」も多かったのである。


 


  

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正解は、


町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。・・・でした。


 


引用参照




えどちりQuestion  其の2  江戸のしくみ編  ものしりミニシリーズ 

鈴木 理生 著  出版:人文社

税込価格:¥1,260 (本体:¥1,200) サイズ:22cm / 111p

ISBN : 978-4-7959-1992-1  発行年月:2008.08


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by inemuri_hansui | 2008-11-29 12:48 | 時代小説 | Comments(0)

江戸のしくみ」の読みは「マチ?」・「チョウ?」





 


江戸には多くの「」があったが、「マチ」と読む場合と

チョウ(チャウ)」と読んだ場合とがある。

 

 現在も小川町(オガワマチ)、馬喰町(バクロウチョウ)などと

使い分けられている。


 


なぜなのだろう!?。五択問題です。(答えは一番最後に!)


 


.「マチ」と読むのが正解。「チョウ」は「」と混同した読み方。


 


.町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。


 


.番町(バンチョウ)など、旗本が住んでいた武家地を「チョウ」と呼んだ。


 


.明確な基準などない。読みやすさで決まっていた。


 


.徳川御入国当時の庶民の集落の多くは「マチ」と呼ばれていた。

  麹町(コウジマチ)・飯田町(イイダマチ)がその例。


 

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江戸創世記の町




 徳川家康御入国当時の江戸城周辺の集落は「ムラ」か「マチ」であった。

つまり、小田原を本拠とする北条氏の表現では、町は「マチ」であった。

 実例としては、江戸城直下の現在は皇居外苑の場所には、祝田橋交差点の

地名に残る海岸集落の、祝田町(いわいだまち)、宝田町(たからだまち)、

千代田町(ちよだまち)の三町があった。

 その後この三ヵ町は、城郭拡張のためにすべて現在の中央区内に移され、

祝田町は南伝馬町(みなみでんまちょう)、宝田町は大伝馬町(おおでんまちょう)、

千代田町は小伝馬町(こでんまちょう)と改称された。


 


 また甲州道中沿いの国府路町(こふじまち)、現在の麹町(こうじまち)、

上州口ともいわれた現在の飯田橋(元は飯田町)も、北条時代の「」であった。

 その後、公儀が主に関西から「町(まち)」を招いて、江戸が大都市化すると、

「町(まち)」は《○○町(ちょう)》と呼ばれるようになったが、北条時代からの


古い町(まち)は古町(こまち)と称されて、もとの呼び方を尊重されて残った。


 


 徳川幕府の開闢(かいびゃく)時、初代・家康、二代・秀忠の代にかけて江戸に

移住してきた者たちで、古町町人(こまちちょうにん)と呼ばれていた。


 古町町人の多くは、芝口(しばぐち)から筋違見附(じちがいみつけ)にかけて

住み、いろいろな特権を与えられていた。古町の中でも特に角屋敷に住む町人は

御目見(おみみえ)屋敷と称され、年賀、将軍家の婚礼、嫡男誕生の慶事には、

将軍拝顔を許されていた。



江戸行政組織の呼び方(マチチョウ)


 


 地主=町人(ちょうにん)の連合体であった「町(まち)」を管轄したのが、

旗本が任命された町奉行(まちぶぎょう)。その奉行と直接交渉したのが

「町人(ちょうにん)代表」としての、世襲三家の町年寄(まちとしより)、

奈良屋のちの館屋(たてや)、樽屋(たるや)、喜多村家(きたむらけ)で、

日本橋一丁目から三丁目に、各自の役所を持って市政(町政)に参与した。


 


 町名以外には町触(まちぶれ:町人向けの法令)、町入用(まちにゅうよう

租税負担)、町屋敷(まちやしき)、町火消(まちびけし)など《まち》と呼ぶ

場合が多い。町役人(まちやくにん:家主など)が、町内(ちょうない)の

事務を執行するなどという「重箱(じゅうばこ)読み」も多かったのである。


 


  

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正解は、


町人の住む土地を「チョウ」と読んで、武家地である「マチ」と区別した。・・・でした。


 


引用参照




えどちりQuestion  其の2  江戸のしくみ編  ものしりミニシリーズ 

鈴木 理生 著  出版:人文社

税込価格:¥1,260 (本体:¥1,200) サイズ:22cm / 111p

ISBN : 978-4-7959-1992-1  発行年月:2008.08


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by inemuri_hansui | 2008-11-29 12:48 | 時代小説 | Comments(0)

かきカキ甘柿干し柿


栄養豊富・薬効がたっぷりの秋の味覚


 



 


かきカキ・甘柿・干し柿  身体に効く栄養成分・食材・調理方法


 


プロビタミンCとビタミンAが豊富


  栄養面での特徴は、ビタミンCが豊富なことでしょう。

 正確にいえば、プロビタミンCという、ビタミンCの前駆物質で、

 これが100g中1gも含まれています。

  プロビタミンCは体内に吸収されるとビタミンCとなって働きます。

 大きめのなら、1個食べるだけで、ほぼ1日のの必要量を満たします。

 また、ほかのくだものには少ない、ビタミンAも多く、とくに干し柿

 場合だと、生のものの2倍もAが含まれています。ただし、干し柿にすると、

 は失われてしまいます。


 



 


食べ方のヒント


  そのまま食べるのがいちばんおいしい食べ方ですが、ますサラダに加えたり、

 あえ物にしてもおつなものです。若葉はおひたし、ごまあえ、てんぷらなどに利用

 できます。

  また、白菜の漬け物に、柿の皮をいっしょに漬けると、甘みのあるおいしい

 白菜漬けができます。

  には多くの品種がありますが、旬はどれでもだいたい10~11月です。

 甘柿の王様は富有柿で、次郎柿がそれにつぎます。


 


 


 


お買い物・材料選びのポイント


  渋柿の代表は平たくて種のない平核無柿(ヒラタネナシ)や、細長く先端のとがった

 蜂屋柿などです。

  おいしい見分け方は、皮の色とつやに注目します。

  実はかためで、ヘたも緑色で、しっかりついているものなら安心です。干し柿は、

 表面に白い粉のふいているものを選びましょう。


 


 


 


二日酔いの防止や、かぜの予防に抜群の効果


  昔から、「くなると医者くなる」といわれるほど、柿は健康食品として

 すぐれた薬効を発揮します。

  まず有名なところでは、二日酔いの防止。これは、柿に酒の酔いをさます働きが

 あるからで、お酒を飲む前に 生の柿を1~2個食べて おくと、悪酔いを防ぎます。


  二日酔で気分のすぐれないときも、よく熟した甘柿を1個食べると、アルコールが

 抜けて気分がスッキリします。ビタミンC肝臓の働きを助け、解毒を促すからでしょう。

  ただし、の乏しい干し柿では効果はありません。

 乗りもの酔いにも、柿を食べるといいといわれます。


 


 


治す・防ぐ


 二日酔い、風邪、夜尿症、高血圧、やけど、かぶれ、しもやけ、痔、虫刺され、歯痛など

 

  晩秋、木枯らしが吹き始めるころ、柿は最盛期を迎えます。このころはかぜをひきやすい

 時期でもありますが、 毎日柿を食べていれば、かぜの予防になります。

  これは、ビタミンが、ウイルスに対する抵抗力を高め、のどなどの粘膜を強くして

 くれるからです。ただし食べすぎると、かえって害になることがあるので、注意してください。

  とくに空腹時にたくさん食べると、消化不良をおこしたり、便秘の原因になったりします

 ので1日に1~2個が 適量です。


  また、タンニンが体内で鉄と結合して、鉄分の吸収を妨げますので、貧血症の人は

 ひかえたほうがいいでしょう。


 



柿なますの作り方

 大根の皮をむいておろし金でおろし、さっと汁をしぼってボールに入れる。

 干し柿はヘタをとり、表面をぬれぶきんで拭いてから細かく切る。

 切った干し柿、砂糖、酢、塩を1に入れ、混ぜる。

 味がなじむまで、一晩おいておく。

 干し柿の甘さが出てきたら食べ頃。


※昔は、大根は粗めにおろすことが多かったようである。


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by inemuri_hansui | 2008-11-27 23:25 | 江戸を歩く | Comments(0)

かきカキ甘柿干し柿


栄養豊富・薬効がたっぷりの秋の味覚


 



 


かきカキ・甘柿・干し柿  身体に効く栄養成分・食材・調理方法


 


プロビタミンCとビタミンAが豊富


  栄養面での特徴は、ビタミンCが豊富なことでしょう。

 正確にいえば、プロビタミンCという、ビタミンCの前駆物質で、

 これが100g中1gも含まれています。

  プロビタミンCは体内に吸収されるとビタミンCとなって働きます。

 大きめのなら、1個食べるだけで、ほぼ1日のの必要量を満たします。

 また、ほかのくだものには少ない、ビタミンAも多く、とくに干し柿

 場合だと、生のものの2倍もAが含まれています。ただし、干し柿にすると、

 は失われてしまいます。


 



 


食べ方のヒント


  そのまま食べるのがいちばんおいしい食べ方ですが、ますサラダに加えたり、

 あえ物にしてもおつなものです。若葉はおひたし、ごまあえ、てんぷらなどに利用

 できます。

  また、白菜の漬け物に、柿の皮をいっしょに漬けると、甘みのあるおいしい

 白菜漬けができます。

  には多くの品種がありますが、旬はどれでもだいたい10~11月です。

 甘柿の王様は富有柿で、次郎柿がそれにつぎます。


 


 


 


お買い物・材料選びのポイント


  渋柿の代表は平たくて種のない平核無柿(ヒラタネナシ)や、細長く先端のとがった

 蜂屋柿などです。

  おいしい見分け方は、皮の色とつやに注目します。

  実はかためで、ヘたも緑色で、しっかりついているものなら安心です。干し柿は、

 表面に白い粉のふいているものを選びましょう。


 


 


 


二日酔いの防止や、かぜの予防に抜群の効果


  昔から、「くなると医者くなる」といわれるほど、柿は健康食品として

 すぐれた薬効を発揮します。

  まず有名なところでは、二日酔いの防止。これは、柿に酒の酔いをさます働きが

 あるからで、お酒を飲む前に 生の柿を1~2個食べて おくと、悪酔いを防ぎます。


  二日酔で気分のすぐれないときも、よく熟した甘柿を1個食べると、アルコールが

 抜けて気分がスッキリします。ビタミンC肝臓の働きを助け、解毒を促すからでしょう。

  ただし、の乏しい干し柿では効果はありません。

 乗りもの酔いにも、柿を食べるといいといわれます。


 


 


治す・防ぐ


 二日酔い、風邪、夜尿症、高血圧、やけど、かぶれ、しもやけ、痔、虫刺され、歯痛など

 

  晩秋、木枯らしが吹き始めるころ、柿は最盛期を迎えます。このころはかぜをひきやすい

 時期でもありますが、 毎日柿を食べていれば、かぜの予防になります。

  これは、ビタミンが、ウイルスに対する抵抗力を高め、のどなどの粘膜を強くして

 くれるからです。ただし食べすぎると、かえって害になることがあるので、注意してください。

  とくに空腹時にたくさん食べると、消化不良をおこしたり、便秘の原因になったりします

 ので1日に1~2個が 適量です。


  また、タンニンが体内で鉄と結合して、鉄分の吸収を妨げますので、貧血症の人は

 ひかえたほうがいいでしょう。


 



柿なますの作り方

 大根の皮をむいておろし金でおろし、さっと汁をしぼってボールに入れる。

 干し柿はヘタをとり、表面をぬれぶきんで拭いてから細かく切る。

 切った干し柿、砂糖、酢、塩を1に入れ、混ぜる。

 味がなじむまで、一晩おいておく。

 干し柿の甘さが出てきたら食べ頃。


※昔は、大根は粗めにおろすことが多かったようである。


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by inemuri_hansui | 2008-11-27 23:25 | 江戸を歩く | Comments(0)